本を読むと馬鹿になる?(前編)
子供たちへの教育の一環として、「読書」というのは極めて大事な要素であると僕は思う。
なぜならば、読書は、文章読解力、表現力、言語力といった、一般社会で必要な要素の多くを学べるからだ。
ただ同時に、そこに全くの懐疑心を持たない、というのはいささか問題ではないか、そうとも思う。
僕の好きなドイツの哲学者ショーペンハウエルは、著書の中で、
「一日を多読に費やす勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失って行く。常に乗り物を使えば、ついには歩く事を忘れる」
そう多読を批判した上で、「愚鈍な人間は学問を積むことにより、より愚鈍になる」
さらには「概念(知識)が、経験を先行するべきではない」とも言っている。
また思想家の西部邁も「高等教育を受ければ受けるほど馬鹿になる」と論じ、専門知を批判している。
ショーペンハウエルや西部が言わんとしている事は大きく分けて三つある。
1、無選別な読書ほど時間を無駄にするものはない。
2、知識が偏り、専門化され、周囲や全体像が見えなくなる。
3、受動的になり、自ら思考する能力が低下する。
また、西部の言う高等教育の弊害というのは、権威主義的に、
「東大の教授に教わったのだから正しい」
と言ったような、権威に対し懐疑心を抱かなくなり、思考停止することや、
「東大を出てるのだから」
ということが自意識を強め、知らない事を知らないと言えなくなり、それが成長を害するというのもあるだろう。
もちろん、それらもすべて読書の弊害と言い切るのには無理はあるが、少なからず、そこに読書が大きく関与していることは否めないだろう。
要するに、彼らが指摘しているのは、読書には、正しい読書と、そうではない読書がある、ということなのだ。
では、どんな読書が良い読書と言えるだろうか。次回はそんな話をしてみたいと思う。
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