先日、ギャラリー「Kosaku Kanechika」にて開催されている青木豊の個展「窓と行進」にお邪魔しました。

青木の作品は、それ単体では成り立ち難い相対的な比較関係において、
例えば、立体と平面や生と死、男と女、神と人(民)、アナログとデジタルなど、双方を取り持つ際どい境界線を、青木自身の精神を介して表現している気がします。
今回の個展、「窓と行進」でも、【内と外を取り持つ】窓をモチーフに、その光と影、温度や湿度、匂いなどのエッセンスも加え、それぞれの側から覗いた境界線が複雑に表現されてます。
さらに、観る者の視点、視覚や、場所、時間帯、季節、様々な光の移ろいといった外的要因によっても表情が変化するように意図された作品の印象は、あえて全ての作品名を「Untitled」にしたことからも伺えるように、鑑賞者に委ねられています。

また、青木自身が今回の個展で、新たに取り入れた斜めの軸は、従来までの作品にある螺旋、縦横の軸に、さらに動きと表現の幅を与え、今までにない世界観を創り上げています。
そして、決して直接的な表現ではないものの、薄っすらと薫る【日本人らしさ】と言うべき伝統精神やその感覚が内包されている点も、作品に深みと魅力を与えている気がします。
青木豊個展「窓と行進」
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良い物は、普遍的であるがゆえに、勝手にいつまでも残っていくものだ、昔、僕はそんな風に考えていました。
しかし、そもそも普遍的価値など、存在するのでしょうか?という素朴な疑問に答えられず、結局は、その価値を人間が生み出すと同時に、意識的に継承しなければ、消えて無くなるのではないか、そんな風に考えを改めました。

例えば、うちで扱うAlvar AaltoのArmchairは、貼り替えの際に、1930〜40年代に製造された技術、素材をそのまま現代で再現していますが、これが現代の技術や素材で直してしまえば、次に張り替えたり直したりする際に、デザイン当時のことが再現できなくなります。
すなわち、その価値がそれによって毀損してしまうわけです。
当然、修理をするにも、今の技術や素材で直した方が、格段にコストは安くすみます。それでもわざわざ、コストをかけて直すのは、やはりその価値を将来にきちんと残していきたい、という僕の意識や、価値判断によるものなわけです。
言いかえれば、価値はその個人の問題であって、普遍的なものではない、ということではないかと思うわけです。
むしろ、多くのものが、コストという名の元に、価値を毀損され続け、消えていく運命を辿るのではないでしょうか。
それは一方で、金銭的コストという個人の価値判断によって決められているとも言えますが、結果的にはどちらに転がっても、個々から価値感は抜け出せないのです。

そう考えると少し虚しさもありますが、それはそれで個人的には、やり甲斐や、責任感を感じたりもします。
そして、妥協しないで未来にその価値を繋げていく、そんな意思的な価値の継承が、結果的に普遍的価値に繋がればいいな、と思っています。
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