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「家具はただの道具なのか?」





人間が使うもの、それはすなわち「道具」という概念は確かにその通りで、それは家具や物に関わらず、「言語」においても道具であることは間違いない事実でしょう。




しかし、ここでその「道具」という概念についての解釈というものは、議論すべき重要な題材であると僕は思います。





言語(言葉)もそうですが、誰が、どのような場面で使うかによって、その意味というものが大きく変わるものです。




例えば、20歳の若者が、「最後は愛ですね」と言うのと、80歳の老夫婦が「最後は愛ですね」と言うのでは、同じ言葉(ワード)でも、全く意味の異なるものです。




それは主体である僕らの精神や心、すなわち主観性や、(人生)経験というものが言葉には内在するからであり、完全な客観(ただの道具)としてだけが言語ではない、という証明でもあります。




このように言語がただの道具ではなく、それぞれの主体によって異なるのだということを前提とすれば、家具などの「物」も、客観的な「道具」としてだけではなく、それぞれに「心」や「精神」が内在しているとも言えます。




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家具であれば、その作り手の想いや、使い手の癖、家族構成、(例えば、座る人の癖や、子供のいたずらの痕跡、歴史)そういったものが「物」には含まれるわけです。




また、継承という意味においても、以前の持ち主から、新たな持ち主へ渡ったとき、それは先ほど述べたような「心」の一部を、「物」を介して引き受ける、ということにもなります。




このように、家具を介した「心」のやり取りとでも言いましょうか、そういったことを無視して、ただの客観的な物として家具を捉えるのであれば、それほど虚しいものはないのではないか、と僕は思います。




しかし、残念ながら近代化は、物から主観性(心)を奪い、合理性や客観性を重視しがちです。
「安ければいい」「壊れれば捨て、新しいものを買えばいい」そういった考え方では、物との希薄な関係性しか築けないのではないかと思います。





長く使う、長く使いたい、いつまでも大事に使いたい、丁寧に使いたい、次の代に受け継がせたい、
このように人と物とが心を通わせるような、そんな付き合い方が出来れば、僕は理想だな、と思っています。





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Posted by デザインパパ カーツ on  | 0 comments  0 trackback
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