永瀬二郎の作品を一言で現すならば、「境界線が曖昧」
アルミニウムという素材と、高度な工芸技術に裏打ちされた完成度によって、どの作品にも彼らしい個性と一貫性があるものの、それがアートなのか、工芸(クラフト)なのか、プロダクトデザインなのか、その判別を使い手に委ねているように感じることでしょうか。

今回紹介したブックエンドもまさに、その境界線が曖昧な作品で、時にオブジェに、時にブックエンドとして、まさにTPOで使い分けることが可能なのです。
しかしそれは、選択の幅が広がる分、間口が広がったり、面白みもあるのですが、逆に作品を「曖昧」に、ぼやかすこともあると思うのです。

この辺りは価値観と言ってしまえばそれまでですが、実際は、アートとクラフトでは全く世界が違いますし、それこそ価格レンジは雲泥の差があります。

そういった価値も含め、それを判断するのは、もちろん作家であり、また使い手(買い手)であるのですが、その判断は極めて難しく、、
ただ、そもそもこういった世界は曖昧であると僕は感じてもいるので、境界線が明確であることが正解とも思いませんが、一方で、お金という価値判断の中では明確化されてしまう世界であるのも事実。
とはいえ、「自分が美しいと感じたものを選ぶ」という姿勢は変えず、今後も物を選んで行こう思います。
そして、永瀬二郎という作家が、今後もクラフト界で作品を作り続けるのか、それともアート界へ進出するのか、注目して行きたいとも思います。
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使い捨てが当たり前になった昨今、見直されるべきは、「ものを大切に使い続ける」という価値観ではないか、と思います。
もちろん、経済の観点からは消費は決して悪いものではないのかもしれません。
しかし、限られた資源の中で、人々が不自由なく暮らして行くためには、ただの物質的なものに、支配、左右され続けることが正しいとは僕は思いません。

精神性と言えば良いでしょうか。それとも日本人的に言えば、「心」でしょうか。そういったものに響くものや、それが優先されることこそ、僕は重要だと思っています。
その中で、やはり「ものを大切に使い続ける」、という価値観は、その根幹にあるのではないでしょうか。
当然、それには心が豊かになるだけの基礎的な要素が、その物自体になければならないと思います。
それは作り手の想いであるとか、友人や、先祖から継承されたものであるとか、様々な要素があるとは思いますが、それらを内包したものは、ただの物質ではなくなると思うのです。
先日、日常の中で使っていた村上祐仁さんの器と宮崎和佳子さんの急須を割ってしまいました。普通であればもう、それは処分の対象かもしれません。
ただ、心のどこかで、このまま処分してしまうことへの抵抗や、作り手への感謝もあり、なんとか直せないかと、金継ぎすることにしました。
初めての試みですので、決して上手に金継ぎすることはできませんが、それでも出来上がった器には、今まで以上に愛着が湧いた気がしたのです。

これこそ、ものがただの物質ではなく、「心」が加わったからこそだと思うのです。
壊れたら捨てる、古くなったから捨てるではなく、壊れても直したくなる、古くなっても愛着が沸き、使い続けたくなる、最後は、そういった【もの】に囲まれて暮らしていきたいですね。
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