部屋はその人を映す鏡?
ある人を形成するにあたって、その表面的な部分から内面を、また内面的なものから表面的なものへと相互に依存し合うという、解釈学的循環というものがあります。
すなわち、その内面は、外見に依存し、外見もまた、内面に依存する、というわけですが、その外見というものをピックアップし、もう少し、大局的に捉えると、観相学というものに行き着きます。
観相学は、例えばどのような人相なのか、どのような車に乗っているか、どのような服装をしているのか、どのような髪型なのか、どのような食事を摂っているか、挙げればきりがないですが、その人にまつわる表面的なものを総合的に捉えることで、その人の内面というものを理解(解釈)していく、というものです。
少し小難しい話ですが、簡単に言えば、部屋(住む場所)もまた、その人の内面を映す鏡であるということです。
家具を選ぶにしても、建築を選ぶにしても、そこに、選択という思考なり思想が否応無しにも介在してしまうからです。
とくに部屋(家具)は、建築ほど経済面に左右されませんから、余計にその人柄が見えやすいのです。
もちろん、ミクロ的(部屋)にもマクロ的(建築)にも、経済面が観相学において大事なことであるのは間違いありません。
どこにどれほどお金を使うのかというプライオリティー(優先順位)を決める場合もまた、思考、思想が大きく関係するからです。
しかしながら、部屋は建築のように、際限の無い、言い換えれば、庶民の限界を超えるようなことはなかなか起きずらいため、そのプライオリティーに現実味がある、というわけです。
当然、その現実味というのは、【やればできる】範囲であって、選択の余地があるわけですから、観相学的にも多くの人が対象となるのです。
例えば、収入が少なくとも、家具に一点集中をすれば、収入とは関係のない家具に囲まれた部屋をつくることは可能ですし、逆に、収入が多くとも、家具や空間にプライオリティーを置かなければ、収入の少ない人よりも、貧相な部屋に暮らすということもあるでしょう。
もちろん、どちらが正解か、という議論をするつもりはありません。大事なことは、そこで暮らす人の精神であったり、性格、思想であったりが、その選択の結果によって表面化している、ということなのです。
そして、その選択の結果に出来た部屋というものを、解釈学的循環において、自分を映す鏡として捉え、自身を客観的にみることが可能ではないか、ということなのです。
当然、それを知ったからといって何も変わらない人もいるでしょうし、それによって、気づきがある人もいるでしょう。
ただ、知っていて、変えないのと、知らずして変えないのでは意味が全く違ってくると思うのです。
そんな【気づき】というものが、部屋というあなたの身近なことの中にあるとすれば、それは一つのチャンスではないでしょうか。
部屋は自分を映す鏡?!と思った方は、
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